三島由紀夫は「愛国教育や国粋主義」を嫌い、「徴兵制と核武装」を否定した
日本人は豚になる~三島由紀夫の予言⑧
■おもちゃの軍隊
三島はナショナリズムが要請する「選択された伝統」のいかがわしさも熟知していた。
大東亜戦争における日本軍の世界史的位置づけもわかっていた。
軍部にも昭和天皇にも批判的だった。
「愛国者」を自称する人間を嫌悪した。
「愛国心」を嫌った。
それでも「おもちゃの軍隊」を結成した。
それが悪趣味なままごとであることは、三島自身がよくわかっていた。
三島は当時西武デパートの社長だった堤清二に電話した。
この時の話を、辻井喬(堤のペンネーム)はこう書いている。
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実は、楯の会の制服は、私のところでつくったのです。当時、三島さんはフランス大統領のド・ゴールの洋服[軍服か]をとても気に入っていた。だから楯の会の制服は、ド・ゴールの洋服をつくっている人に頼みたいと思ったのです。それでいろいろ調べたら、日本人がつくっていた。五十嵐九十九(いがらしつくも)。それなら頼みやすい、五十嵐はどこにいるかと探したら、西武百貨店の紳士服の顧問デザイナーというのかな、そういった仕事をしていた。それで私のところに、「あんたのところに五十嵐というのがいるか」と電話がかかってきた。「ああ、いますよ」と言ったら、「ちょっと頼む」ということになった。
それで会ったら、「こういう世界最小の軍隊を僕はつくる。制服が大事なんだ、恰好がよくなければいかん」と言う。「何でそんなものをつくるんですか」と言ったら、「それはね、作品だよ、作品」と言っていました。政治運動ではない、作品だと。
このとき以降、月一回かな、昼食を食べたり、飲みに行ったりしました。私自身、楯の会については何の意味もないと思っていましたが、彼はノッていましたね。ちゃんとお金を払ってくれましたから、会社に対しては具合が悪くありませんでしたよ。制服は四〇人分くらいつくらなければならず、相当大変だったと思いますが、いい制服でしたね。(『わが記憶、わが記録 堤清二×辻井喬オーラルヒストリー』)
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おもちゃの軍隊は「祖国防衛隊」から「楯の会」に改名され、自衛隊で訓練を続けるうちに、実体のあるものになってくる。
(適菜収著『日本人は豚になる 三島由紀夫の予言』KKベストセラーズ刊より再構成)
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